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The John's Guerrilla OFFICIAL BLOG 「Seize The Time」
Leo(vo,g)、Ryoji(g)、Kaname(b)、Junichi(ds)

2004年結成、2007年、渋谷を中心に始動。現代のUK、USインディロックシーンや、60's / 70'sの多様なカルチャーやアートからインスパイアされ、独自のデフォルメを加えながら辿り着いたサイケデリックなサウンドアプローチは、都内ライヴハウス、クラブシーンにおいて圧倒的な支持を獲得中。ファッション、アート界をも巻き込み、MySpaceや口コミでFM各局関係者や各メジャーメーカーが殺到。現在盛り上がりをみせている、海外インディロックの影響直撃の若手バンド勢にして最右翼と評されており、メロコア、パンク以外では成し得ていない英詞ロックシーンを確立すべく、2008年6月25日についに初の音源をCRUXレーベルよりリリースした。


RELEASE INFORMATION
The John's Guerrilla
on sale
1st. Double A Side Single
「Shoot the radio/  Shadow disco」

1.Shoot the radio
2.Shadow disco
3.Jewel(LIVE)
※Shoot the radio PV収録
RTC-005 / ¥799(tax in)
ボブマーリーについて2   今村怜央
第6章 希望



http://youtu.be/zGO8HN1QQdI


ようやく、彼にも転機が訪れる。
いわゆるメジャーの会社が興味を示したのだ。
ジャマイカに一番近いロンドンにて、
レゲェがアンダーグラウンドだが、人気がわきはじめる。
パンクカルチャーと結び付くのは、もう少し先。


このとき27歳。子供は増える一方。

ようやく、契約がきまり、
本人たちは今まで聞いたこともない製作費と、ギャラ。(メジャー会社からしたら、大した額ではなかった)

それに伴い、ロンドンツアー。(ジャマイカと行ったり、来たり)

寒い気候と、

メンバーのベジタリアン故の、食事の悩み(今でもロンドンの飯はまずいが、、)、
ストレスは高まるが、
希望がようやくそこまで見えてきた。


レコーディングを敢行。

会社の人は、
これでは、聴衆が聞きなじみが無さ過ぎるから
白人のアレンジを雇い、
オーバーダブを指示。

世界観が壊れると、メンバーは嫌がったが、
ボブマーリーは、推奨した。

そして、レゲェミュージックを世界に広げる名作が誕生する。

ロックの匂い持ち、怪しく、聞いたことのない詩と、新しいサイケデリアを醸し、緊張感を持つ、レゲェのリズム。

『catch a fire』    


第7章変化は一瞬

この成功を機に、

目まぐるしく活動していく。

世界中をツアーでまわる。

しかし、うける場所もあれば、全然ダメな場所もある。

それは、時代問わず、皆一緒だ。

皆が通る道だ。

それでも希望が見える限りは、やるしかない。


しかし
このツアーをきっかけに、
メンバーのバニーが脱退を申し出る。

宗教上の飯の合わなさ、
ツアーのタイトさ、
ジャマイカが恋しい、
飛行機が怖い、、、
まあ限界だったんだろう。


昔、歌を教わった先生ジョーヒッグスを、召集して、穴を埋め、ツアーをまわり、

2枚目の作品を出す。


『burnin』

http://youtu.be/za01QWLXisQ



これがthe wailers名義では、最後になる。

これを機に、解散し、


bob marley & the wailersに代わる。




そして、皆の知る、ドレッドロックスのボブマーリーとなっていき、




世界のスターになっていく。



第8章 成功、そして生きるということ


どんどん、ラスタファり運動に傾倒し、

聖書が一生の書物となり、


黒人の解放者になり、


国を変え、(u2のボノは、世界で彼の写真を見ない国は無いとか言ってたり。)

あらゆるアーティストに尊敬され、

時には、銃で撃たれ、


相変わらず、マネージャーに金を、持ち逃げされたり、


忘れてたが、彼の性格は、

非常に寡黙で、シャイでいて、ほとんど笑わないぐらい厳しい人だったらしい。

そんな厳格な彼が、

女にはまいっちまう性格らしく、

世界中に恋人を持ち、

子供も、おそらく10ー20人

おそらくもっといるらしい。


とにもかくも、


変わらない熱意で。

走り続け、

メッセンジャーになり、世界中で聖人のように慕われ、

世界中で、公式でない音源も合わせたら余裕で一億枚以上売るスターになった。


しかし、彼も逃げれないものがある。


ガンだ。



原因は色々あるが、

定説には、

サッカーで負傷した足の傷をほっといたら、

ガンになってしまったとかが有名だが、理由は関係なくともかく、

ガンになっちまった。


調子の悪い兆候は、たくさんあった。

はじめて、声が出ないとか

元気がなく、

痩せてきたとか、もろもろだったらしい。


ニューヨークのセントラルパークで、

ランニング中に

突然、泡吹いて、ぶっ倒れて、

病院行き。

ガンが全身転移してる為に

寿命が2-5ヶ月しか

持たないと診断される。


ボブは、

母親にこう言ったらしい。

『ママ、僕は何も悪いことしてないのに、こんなにも、ジャー(神様)に忠実生きてきたのに、なぜこんな目にあわなければならないの?』


いくつかのライブをキャンセルして、


最後のライブを敢行する。

http://youtu.be/eFIdlk5dq5k




ライブはアンコールを3回やり、

本人はもちろん分っていたし、メンバーも、

リハーサルの段階で泣いていたらしく、

テンポも速めになっている。




体はボロボロなのに、

もう聞いてると、泣きそうになるくらい素晴らしいパワーが

あって、元気がないときには、よく慰めてもらっている。





そのライブ後、

家族は

ガンの名医を探しだし、診療してもらうために世界中動き回ったらしい。


そして、一番好きなエピソード。



一応ヤマを越えて、

治療中の話。



ガンの治療には、たんぱく質が良いとされたらしく、
肉を食べなきゃダメといわれ、パクパク笑いながら食べてたらしい。

ラスタファリアンは、基本的に肉も食わないらしい。

彼にとっては、全てであったはずの、宗教の規律を、ガンのためには長いドレットも切って、肉も必要なら食う。


ようするに生きたかったんだろう。

生きるってことを全力でやってのけた。


それに尽きる。

全力で生きる。


たくさんロックスターはいるが、

全力で生きようとして、自ら死ななかったロックスターが一番好きだ。

(ジョンレノンもそうだな。彼についてもいつか書こう。)



しかし、残酷なもので、治療しても結局死の運命には勝てなかった。



1981年5月11日 脳腫瘍を患いアメリカ・フロリダ州の病院で死去。36歳没。同月21日、キングストンにて国葬された。

36年間の人生だった。

僕は、ジミークリフや、ピータートッシュも、リーペリーも、レゲェも好きだが、ジャンルとしてなら、おそらくロックの方が好きだ。

しかし、この世に存在した芸術、人間、一人の音楽なら、ボブマーリーが一番好きだ。

どうかいつまでも、僕の憧れであり続け、人間のあるべき姿であると導き続け、素晴らしい音楽と、言葉で、僕に勇気と情熱を奮い立たせ続けてください。

あなたと、出会って、知れば知るほど、俺もあらゆるものに負けずに、生き抜くと決めました。

いつまでも満足という結果までは、ほど遠いな。

俺も生き抜こう。



以上が、これでも簡易的にまとめてみたボブマーリーについての考察だ。


この文章が簡潔するまでに、5時間かかってしまった。

次第に、簡潔的に、深く書けるように精進します。




また来週会おう。


読んでくれてありがとうございましたっ!!!!!
by emm_tjg | 2012-01-30 23:05 | Trackback | Comments(0)